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2007年2月17日(土)京橋区民館

勉強会


 今回の勉強会は、「脳は絵をどのように理解するか」第八章「神経ネットワーク―標準的表象、記憶、絵の認知」は、都合により中止し、「レディー・フォーペインティング」〈誰がセザンヌを必要としているかU〉―モダニズムの視覚性、マトリクス、形象性―を読みました。

〈誰がセザンヌを必要としているかU〉〉―モダニズムの視覚性、マトリックス、形象性―には二つのテーマがあるようです。一つはリオタールの形象形象(フィギュール)という概念がクラウスのテキストに使われているのですが、そのことの解説とそこで問題にされているマトリクスとメルロポンティーの「離れて持つ」という問題を結びつけようとしていると言うことです。

 ここで問題にされている形象(フィギュール)とは、視覚に三層の区分を設定しその一つをはっきりと見ることの出来るイメージ、次に「可視的だが見られない」秩序つまりゲシュタルト、最後にその下に「不可視なもの」の秩序としてのマトリックスを想定しています。マトリクスの性質は、第一に外的空間の座標では規定できないような空間性を持っている。第二に、その要素が「体系ではなくブロックを形成する」、第三のせいしつは、それがリズムないしパルスという形式を持っていることであるということです。そしてそのマトリクスの形式はタナトスを原動力とする断絶(死)の回帰を形象化する形式だと言うことです。

 このマトリクスの性質から、マトリクスを捉えるためには、距離が無効になり、内側からその変形可能性それ自体を見ていることが貫かれなければならないといっています。このことがメルロ=ポンティの「離れて持つ」と言うことにつながると考えているようです。

(文:山田宴三)

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